後で読み返す日記の一つとして。

久々に、自分のもどかしさを実感しました。
ココ最近、気づいてはいたのですが
爆発力というか、まだまだというのか、
「こんな所で終わってたまるか!」
というのか。
勢いみたいなものが散漫になっていることに。
これを、書いている事さえ
考えモンですが
おれのエネルギーみたいなもの。  
足りなさ。
悩んではいません。
行動すればいいのです。
目的に向かって。
それは、自分のためでもあり
大切な人のためでもあります。
男なら、男らしく。
勝負してもいい頃なのかなと。
結果は、後からついてくる。
保守的な時間ほど、後ろ向きな考え方を
連想しネガティブな安住の地を選びます。
そんな時間は、毎日イヤでも繰り返しますが
今は、行動する自分に可能性を感じ
冷静にかつ客観的に評価していくエネルギーの方が
必要というのか「らしい」のかなと。
そこに期待してくれる大切な人を裏切らないようにしないと。
目が覚めたというのか、
優しい気遣いの言葉はたくさんもらい
甘えていたのか
ケツをひっぱたかれました。
そのぐらいの覚悟と期待をもっていてくれる人に
感謝の念を感じながら、
なりたい自分のはじまりです。
過去は過去。経験としての財産。
うまく言えないけど、
はじまりです。
ありがとう。
やります。
ここに書いたので逃げれません。
後で読み返す日記の一つとして。

2人より3人

たしか2年近く前のiPhone 3G以来の書き込みです・・・。

僕の部署は3年ほど2人体制やってきました。

大変な面は多々あったけど、気楽さもあったような。

今週からそんな部署に新たな社員が加わり、3人体制になります。

3人になると本当のチームになるのかな。

部署としては今までで一番大きな転換期。

不安もあるけど、希望の方が大きい。

やりたい事も夢も広がります!

今はそんな感じです。

でも3年は流石に長かったかな・・・・。

とびっきりいい女と久々に再会した後。

この間も書いたけど、○杉姫とあって

やっぱ、よかったなぁあ〜と思う。

また、美人になっとりました。(褒めとく)

もんもんホルモンは、う〜〜〜んだったけど

噛み切れなくてモゴモゴ言ってたのは

笑えたけど。ってか焼かせろよな〜〜!

しかし、あんだけのぶっちゃえ話もないけどね。笑


あれもこれもいい思い出だ。笑

でも、自分の事を少なからずわかってもらえるのは

とても貴重だなぁ〜と思う。

仲良し。

いろんな事を自分の言葉で言ってくれるし。

なかなか難しいんだよね。そういうの。

私は、普段はこんなんじゃないよ!ってのも

なんか、

楽しいね。

前は、盛り上がるとあんだかんだで朝まで

遊んだり、いろんなとこ始発から行ったり

今考えると体力あったなぁって思うけど

今やそれはできないからね。笑

いろいろあるし。お互い。

大人ですなぁ〜。

ってか当たり前か。


でも、あれはいい感じに仕上げていこうね。

お楽しみに。

ありがとうね〜〜!

マリア笑










また写真なし







一瞬・・・のこと

たとえば
ある家族がいたとして
みんなで朝ごはんを食べている

するとお父さんがすっと立ち上がり
上着に袖を通しながら
行ってくるぞ
とか言って玄関へ向かう

・・・行ってらっしゃ〜い
子どもたちの声が軽く響き
お母さんがせわしなくお父さんの背中を追う

見送ったお母さんが戻ってくると
早く食べて学校に行きなさい
なんて子どもたちをせき立てる




よくある家庭の日常
ありふれた朝の風景
次の日の朝も当たり前のように
同じような時間が訪れるはず

だから家族の会話も
食べた物の感想も
みんなが揃っていることへの関心も
特にないまま流してしまう

お父さんが放ったダジャレも
質問された学校のことも
思い出せないほどテキトーにやり過ごす

まさかその瞬間から二度と会えなくなるなんて
夢にも思わずに

37歳にして
多くの観客と選手たちの見守る中で
突然のくも膜下出血に倒れた野球選手の訃報を聞いたとき
そんなことを考えてしまった

子どもたちは今なにをしているんだろう
お母さんはその子どもたちをどんな風に見守っているんだろう

スポーツ選手は一般人と比較にならないくらい
生活習慣に気を配っているはずだ
日々の食事、睡眠、体のメンテナンス、トレーニング・・・

でもほとんどの37歳は
酒、タバコ、運動不足、睡眠不足、偏食、尿酸、加齢臭・・・
あらゆる不摂生を日常的に行っている

何よりワタクシがそうだから

なのにこの世は一体どれだけのことを人間に課そうとしているのか
イヤでも不公平という言葉が口をついて出そうになる

もしお父さんのダジャレにクスリとも反応しなかったら
お父さんの質問が聞こえているのにシカトしてたら
行ってらっしゃ〜いの声も
顔を見ずに下を向いて言っていたら

悔やんでも悔やみきれないほどの後悔が残る
そんなこと百も承知なのに
何年生きても何度反省しても
同じことを繰り返す

ワレワレの毎日は
一瞬と一瞬の積み重ねでしかない

その瞬間の中にいくつものドラマの伏線があって
次の瞬間がなくなったものから
ドラマは途絶えていく

途絶えた時点で最後の一瞬は永遠になる
永遠にその瞬間で止まってしまう

存在することが当たり前と思っていたことが

次の瞬間にはなくなっていたり

 

そんなことがあり得ることも分かっている
分かっているのに
大切な一瞬一瞬をいとも簡単に流してしまうことがある




最近読んだ本の一節にこんなのがあった
「人は、自分に都合の良いこと、自分が信じたいと思うことほど、信じる。」



においに関する仕事をしていて
その道の権威にこんな話を聞いた
「人は、赤ん坊の頃は視覚が発達していないために、嗅覚が強く働く。
たとえば、赤ん坊の顔のヨコに、母親の胸パットと他人の胸パットをそれぞれ置いてみる。
すると赤ん坊は間違いなく自分の母親の胸パットの方へ顔を向ける。」と
それは視覚でも触覚でもなく
どうやら嗅覚によって大切な人を認知しているようだ



それが大人になるにつれ

だんだんと視覚に頼る傾向が強まり

気づいたら見えるものしか信じないことになったりする

気をつけたいものです

 

でも見えるものというのは

聴覚や嗅覚などをシャットダウンして

意外と視覚しか働かせずにただぼんやりと眺めていたりすることが多い

 

明日も訪れるであろう日常の風景はまさにそうで

ただなんとなく視覚だけで検知し

他に4つもある感覚をろくに働かせずに

単なる映像としてしか追っかけていなかったりする

 

家族といても仲間といても仕事相手といても

無意識にそうしてしまう瞬間があったりする

つーかそんなことの方が多いかもしれない

 

一瞬一瞬の積み重ねでしかない毎日に対して

五感をサボらせてしまうことが

 

なんでだろう?

 

いるはずの人がいなくなってしまう

あるはずの物がなくなってしまう

会えるはずの人と会えなくなってしまう

 

そんなことが起こるはずなのに

そんなことを考えたくないから

信じたくないことだから

ところどころ軽く流してしまうのか

五感をサボらせてしまうのだろうか

 

サボっているワケじゃなく

そうしないと体をこわしちゃうからだろうか

 

 

現実には

常に五感をピリピリさせて24時間を過ごすなんて

それこそ人間業じゃない

 

どうすればいいんだろう

 

仮に後悔を受け止めることができたとしても

何かが永遠に止まったドラマの続きは

現実は

受け止められるだろうか

 

最愛の、一家の大黒柱を亡くした悲しみは

同時に野球界の損失でもあり

友人や仲間たちの絶望を生み

ファンや無関係の人間にまで波紋となって

少なからぬ衝撃を与えているように思う

 

この文章がその証拠でもある

 

どんな現実より信じたくないこと

五感のすべてを閉ざしてしまいたくなること

 

そんなことさえ一瞬で訪れる

その先も色々な一瞬を重ねていくことになる

中には生きてて良かったという瞬間も必ずある

 

結論なんてワタクシには何もない

 

でも一瞬というのは

想像している以上に長く重く強く

記憶にのしかかることがある

後悔が大きいほど

 

そのことを頭と肝っ玉にたたき込んで

次にやってくる瞬間より一歩早く

思ったことを実行していく以外今は思いつかない

 

そして心よりご冥福をお祈りしたい

自分が生きている限りできるだけずっと

 

きっと家族に申し訳なく思っているだろう

きっと家族のことを誰より心配しているだろう

きっとこんな形で終わりたくはなかっただろう

せめて言い残したいことがきっとあっただろう

 

37

世間的にはオッサンと呼ばれるにふさわしい年齢かもしれないが

人生としはまだまだ若く青く本当の願いを叶える前の段階だ

 

忘れてしまうかもしれない

でもいつでも思い出せる自分でありたい

 

一瞬は一生すら左右するということを

 

・・・どこかでまた書くときがあるかもしれない

信じられないほど五感に衝撃が走ったときに

 

長くなってすまぬす

 

 

 





消耗品だったけど

とある方からいいものもらいました。
毎日、使うものだから。
いつも使い捨ての何も気にしていない消耗品。
でも、こうされると大事にしたくなる。
困る心配も無い。
しかも、メッセージが泣かせます。
毎日、思い出せよってことね。
ありがとう。
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こちらこそ。
お箸。

できちゃいました。

毎年、ビルの上から桜を見ている4月。
今年のエイプリルフールはみなさん
どれだけのユーモアを人々に贈りましたか?
数々のユーモアを贈り頂き楽しかったですが、
め○みの「できちゃいました。」にはやられました。
もちろん、心当たりはないですが「でき婚に〜」
は、いろんな事がモンモンホルモンでした。笑
ちょっと、音沙汰なかっただけに
それはそれは・・・。
女の子っておもしろいですね。
女優です。みなさん。笑
最優秀作品認定します。
写真はひかえましょ。
この間は、行けなくてすんまそん。

おまっとさんです!

アニキ!久しぶりの飲みあざっす!

やっぱ楽しいっすね!
気心知れてる触れ合いは。
アッという間でした。笑
その後、おれはテンション上がって
全く知らないおじさまと朝まで飲んでしまいました。笑
全く知らないおじさまと。
それと、思うんですけど
人ってのは二重人格ってのかその人の見てきたトラウマ
なのかそういうのって本当にあるなぁ〜って感じます。
その場しのぎってのもあるし、TPOって言ってしまえば
それまでですけど。恋愛も人生も。
人の受ける印象で大分、左右される人っていますよね。
本当の心の奥底なんて誰も知らない。
ってか、ガラスのハートなのかうまい事やり過ごす。
でも、実は気づいてるんですよね。言わないだけで。
深く知れば知るほど。
別に、いやな事があった訳ではないけど
ガキの頃から敏感なのです。そんなトコ。笑
でも、アホみたいに笑って受け流す。
だってそっちの方が精神力つきますから。
「ほどほど」がいい。
という人ほど「人」にゆだねたりするし。
「信じるものは救われる」
を信じている人ほど心の傷心は人一倍でしょう。
この人たち、ただダマされているのではなく
バレてないって思われてるだけで
全部、解った上で受け入れているんです。
かわいそうな人だなぁ〜みたいな。
なんでもっとさぁ〜正直になればいいのにみたいな。
どっかで捻くれたんだろうな〜みたいな。
人の選択肢の数だけ難しい。
そんなこんなも考えず、ゲラゲラと笑えるってのは
究極の癒しですね!
なので、アニキ達に会ってスッキリしました。
うまく言えねぇっすけど、
マジ!あざっす!
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「信じるものは救われる」笑
なんだちぃみわ〜!!!!